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◎ 銀河鉄道の父  門井慶喜



講談社 (2017/9/13)
明治29年(1896年)、岩手県花巻に生まれた宮沢賢治は、昭和8年(1933年)に亡くなるまで、主に東京と花巻を行き来しながら多数の詩や童話を創作した。

賢治の生家は祖父の代から富裕な質屋であり、長男である彼は本来なら家を継ぐ立場だが、賢治は学問の道を進み、後には教師や技師として地元に貢献しながら、創作に情熱を注ぎ続けた。
地元の名士であり、熱心な浄土真宗信者でもあった賢治の父・政次郎は、このユニークな息子をいかに育て上げたのか。
父の信念とは異なる信仰への目覚めや最愛の妹トシとの死別など、決して長くはないが紆余曲折に満ちた宮沢賢治の生涯を、父・政次郎の視点から描く、気鋭作家の意欲作。 
何より 宮沢賢治の父の視線というのが面白い!
明治の父の葛藤が良く描かれていたと思います

ただ 当時の裕福な家の家長が 自ら子供の病気の看病を(しかも命に関わる感染症の!)するというのは とても不思議に感じる
長男を大切に思うのは解るけれど 父親がもし罹患して命を落としたりしたらと思うと 親や妻 他の子供たちの事を考えたら尋常の行いとは思えないのだけれど…

↑に >このユニークな息子をいかに育て上げたのか
とあるけれど 賢治はよくある 優秀だけれど苦労知らずのボンボンの典型って感じがする 父親の方がこの時代の父親としてはユニークだったんじゃないかなぁ

賢治に関しては 最近、啄木のヘタレさ加減が話題になりましたが 『賢治、おまえもか…』って感じですねぇ
(笑)
世間知らずのボンボンで 親に金を出させるのが当たり前と思ってる
『上の学校に行きたい』『東京に出たい』『事業を起こしたい』 みんな親のお金を当てにしている
そんな自分を情けなく思ってはいたのでしょうが 妹のトシや弟の清六と比べると なんとも情けないですね

ただ その葛藤が 素晴らしい作品に繋がったのだとは思いますが…
『雨ニモマケズ』を改めて読んでみると 胸に迫るものがあります



《備忘録》作中 気になった言葉 
本を読むこと(ここでは黙読をさしていますが)について こんな言葉がありました

=(前略)うつむいて活字との無言の対話を続けたのだ。もしもそれを対話と呼べるなら。
何しろ相手は活字である。決して怒らないし、どなりちらさないし、嘘をつかないし、ごまかさないし、こっちを混乱させるために故意にわけのわからないことを言ったりしない。こっちから一方的に中断したとしても抗議もしない。
或る意味、そこにあるのは、主人と使用人の関係なのだ。そういう対話にあんまり慣れすぎてしまったら、人間というのは、こんどは生身の人との対話が苦痛になるのではないか。=

これは 本好きの私としては ギクッとさせられる言葉でした
確かに 本は自分の好きなように解釈できるし 自分の中で完結するので 我儘になるのかもしれませんね…

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コメント

No title

私も楽しく読みました^^

が・・・へタレ具合に腹が立ったシーンも
啄木もヘタレ?!?!
興味あるかも~~~

No title

☆あかんたれさん
啄木! こいつはヘタレなんていうもんじゃないですよ(笑)
まさに ひとでなし!!
機会があったら調べて見て下さい びっくりですよ~

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